雑記

BTS 2010
2週間前に出来た直径1 cmの口内炎がようやく収まってきた。週末の合宿中の丁寧なアルコール消毒が効いたと思われる。

しかし、新しいのも出来ていて、少々疲れがたまっているのか?と一瞬思ったが、そんな感じでもない。夕方は疲れが出るが、気合いで何とか持ってしまう毎日。丁寧なアルコール消毒を心がけていこうと思う(笑)。
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今年もドイツ人の学生を2ヶ月面倒見ることとなった。昨年と違うところはM1の学生が実験を見せて、そして実験に参加してもらうという形式になったこと。

M1の学生も自分の実験を英語で説明する良い機会になると思う。是非貴重なこの機会を最大限に活用してもらいたい。
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昨日は都内某所、分光器のメーカに技術的な内容について相談に乗ってもらう。

対応してくれたのは40-50歳くらいの方と、若い女性のセールスエンジニアのお二人。

年配の方は我々が所有している旧型の分光器(おそらく彼が開発に関わったのだろうと想像する)についてその設計について熱く語ってくれる。そして現行機の弱点などを赤裸々に話す(おそらく開発時に納得いかなかったのだろう??)。

彼の熱い語りの途中に、冷静に私のニーズをくみ取りうまく会話の中に入れてくれる女性の方。

おそらく、普段の開発もこの様に進んでいるのだろう。私の好きそうな技術開発の職場の雰囲気。
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帰りに買ってきた焼き栗。http://www.kyo-yakiguri.com/
本日、食事前なのに妻と食べてしまった。かなり甘く、おすすめです。

公式ホームページの自己紹介

Miori

研究室の自己紹介部分を一新した。(日本語のページをちゃんと作った)
以下、経歴の紹介文である。走り書きなので、機会を見て更新していく予定。
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1974年
横浜の病院で産まれる。東京は世田谷の実家で育つ。
幼少時はプロ野球選手を目指して、ひたすら素振りと投球練習を繰り返していた。この経験は後ほどテニスで生かされることになる。父の影響で計測制御(特にロボット)、プログラミング、科学に興味を持つ。

1990-1993
神奈川県 聖光学院高等学校 (中学・高校と硬式テニス部所属)

テニスに明け暮れる毎日。気管支炎になることが多かったのであるが、炎天下での猛練習を通じていつの間にか気管支炎は治り、普通の人よりも瞬発力、持久力が付いた。この体力は後に研究でとても役に立つことになる。

1993-1997
早稲田大学 理工学部 応用物理学科

在学中はテニス、コンピュータプログラミング、音楽に夢中になっていた。卒業研究をきっかけに固体物理、表面科学に強烈な興味を持ち始める。しかし、研究者になろうとは思ってもいなかった。研究者という職業についての明確なイメージがなかったと思われる(指導教員しか知らない)

1997-1998
フリーで音楽活動を行う。ライブハウスでの音響設備を設定するフリーランスの技術者+αとして生計を立てる。時には自分で演奏も行っていた。しかし、その後研究の道に進むことを決意。

1998-2000
筑波大学 工学研究科 物質工学系 博士課程

金属表面上の自己組織化単分子膜(SAM)の吸着構造に関する基礎的な研究を行った。昼は実験、夜は理論計算という非常に不器用でタフな生活をしていた。このとき理論計算を指導してくれた森川研究員(現大阪大学 森川教授)には真摯に研究に打ち込む重要性とその姿の美しさを教えられた。
修士入学直後、ある企業の研究開発の現場を見て、世界で活躍するにはどうしても博士号が必要だという、悔しいけれど明確な現実を知る経験を経て、博士課程への進学を決める。

2000-2003
ドイツ ハイデルベルグ大学 物理化学科 応用物理化学専攻

(日本語正式名称がないので私独自の表現を使っている)

当初、アメリカの大学に留学したかった。TOEFL、GREは何とかクリアしたのだが、日本の修士号は認められず、修士1年からやり直さなければいけない事が分かったので、留学先にヨーロッパを含め再検討をした。Prof. Grunzeがつくばでセミナーを行ったときに少しお話しをする機会を頂き、彼のホームページでPh.D. studentのポジションが空いていることを知り、思い切ってメールを書いてみた。すると20分後に返答がきて、その5分後にドイツ留学を決意した。
この過程を通じて、日本の修士号の信用度が低いということと、若いときには重要な決定もあっさり下せるという事が分かる。
ドイツ留学後1年で結婚をし、その後妻がドイツにやってきて一緒に暮らすこととなった。名実ともに人生で初めての「あとに引けない状況」となった。

研究テーマにも恵まれ、2年半で博士号を取得することが出来た。企業への就職が決まっていたが、ポジションをキャンセルし、アカデミックで基礎研究を続けると決意した。(「成功も失敗もない人生ではなく、成功も失敗もする人生を選んだ」と当時の日記に書かれているが、今考えるとずいぶん思い切った決断だったと思う)

2003-2006
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 産学官連携研究員

理研 フロンティア研究機構 局所時空間機能 研究チーム 客員研究員

博士研究員(ポスドク)として「生体分子でデバイスを作る」というプロジェクトに参加させてもらった。本務先の研究室は更地の状態からのスタートだったので、はじめは週に1度ほど、理研の方にお邪魔して研究させて頂き、東工大では研究室の立ち上げ作業が続いた。次々と結果を出し続けている理研、他の大学のポスドクを横目で見ながら、粛々と研究室立ち上げをする毎日。内心少し焦っていた。1年半ほどして、生体分子と人口表面の相互作用測定が出来るようになり、論文も出始めて落ちついて研究を行えるようになった。プロジェクトの同期のポスドクメンバーは文字通り世界中で活躍しているが、本当にかけがえのない友人&研究者です。

2006 Apr- 2007 May
産業技術総合研究所 計測標準研究部門 研究員

ISO, JISなどの標準化に関わる仕事をした。国家標準がどの様な手順で決められているか?その標準を決定するためのサイエンス、技術の進歩など1年間だけだったが、とても勉強になった。

2007 June-2010 June
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 助教
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員

初めて学生と一緒に研究を進めることになった。私自身、今まで助手(助教)のいる研究室には一度も所属したことが無く、自分の学生時代に助教の先生が指導してくれたら、どこがスムーズにいったかを考えながら、試行錯誤の毎日。意欲的に英語の投稿論文を執筆する修士の学生もいて、私と学生がお互いが成長する様子見ながらの毎日であった。
2009年には娘も産まれ、大学と家庭板挟みの生活に突入した。

2010 July-Present
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 准教授
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員

准教授に昇進し、大学の業務にも関わっていくこととなった。専攻会議、入試、教授会などにも参加するようになり、大学がどの様に運営されているかをようやく知ることになる。研究目標、研究者としての目標も新たにし、研究、教育、子育てに邁進している毎日です。

その他

言語: 日本語(母国語)、英語、ドイツ語

趣味: 音楽(ギター演奏、DTMを用いた作曲、編曲)・写真・マラソン・散文を書く事

研究のキーワード:
表面・界面科学, 走査型プローブ顕微鏡, バイオインターフェース, ナノバイオテクノロジー

iPhone版Omni Focus 1.7.2がクラッシュする

他のアプリでも時々あるのだが、私の仕事に欠かせないTo Do管理ソフトであるiPhone版Omni Focus 1.7.2が起動と同時にクラッシュするようになってしまった。1.7.1から1.7.2にバージョンアップでクラッシュの問題が解決されたとのことであったが、昨日から急にクラッシュするようになった。原因不明。iPhoneの再起動も役に立たず。

MacBook ProのOmni Focusのみで仕事を進めていくことになる。いつも身につけているiPhone版が使えないのは少々不便です。

Mac上のアプリがクラッシュが繰り返される場合には、キャッシュをクリアしたり(Snow Leopard Cache Cleaner等を用いて)すれば治ることが多いのであるが、iPhoneアプリの場合はそうはいかない。自分で手を施すことが出来ないところがもどかしい点です。

追記:
2010/9/30 治りました! 起動直後にデータベースの最適化を待つことなく、強引に新規タスクを入れてやることで、治りました。

では、何を学ぶべきかというというに対する解答

なたまめ
就職活動について学生と話した、在学中に何をすべきか? から続きます。
では次に、「では何を学んでおくか?」という議論になる。

もちろん、それは自分がどの様に社会で活躍していたいかということに関してイメージを持っていなくてはいけない。

明確ではないにしろ、目標がなければ始まらない。理系の大学院ともなると、研究・開発に関わる仕事が大部分だと思うが、大部分の人が選択する「企業で研究開発を行う」という、キーワードのみで考えると一気に視野が狭くなってしまう。

10年後位を見据えたシーズを探索するような研究か、製品開発なのか?技術サービス・営業のような仕事をしたいのか?知的財産を扱うような仕事がしたいのか?もしくはそれらを全て行いたいのか?

顧客とのコミュニケーションを通じて製品を作っていくような仕事か、社内の技術者達とひたすら自分たちの技術を磨くようなスタイルで研究を行いたいのか?

そしてそれは企業への就職という選択でよいのだろうか?サイエンスライターなど最先端の科学・技術と社会を結ぶ仕事も多数存在するし、政府・官庁も科学・技術に理解のある人財を求めている。

5年、10年後に仕事は自分にとってどの様な意味を持っているか?自分の家族に自分の仕事について誇りを持って語ることが出来るのか?

結局、自分はどの様なライフスタイルを求めているのか?という問に帰着するような気がするが、やはり自分と真剣に向かい合って、そこで自分が何をすべきかきちんと考えた上で、何をすべきかを自分なりに決定し、そして根気よく実行した学生が卒業して5年、10年たった後、生き生きとしている。(私の同級生、教え子を見ると)

現在は様々な選択肢を自分の今ある知識でシミュレーションしてみると、自分が何を身につけるべきかだけではなく、自分が潜在意識の中にある自分が求めているライフスタイルなども浮かび上がってくる。

これは私が大学卒、修士卒、博士号取得後に行ったことである。是非、頭でぼんやり考えるのではなく、紙と鉛筆を持ってやってみて欲しい、ということを学生に伝えた。

次は「人生はシミュレーション通りには行かないけれども、トレーニングによって身に付けた能力には以外に無駄なことは少ない」と感じた私のケースについて書こうと思います。

就職活動について学生と話した、在学中に何をすべきか?

Mt. Fuji 2010

私の知る限り、8月の時点で未だ就職活動に苦しんでいる学生が複数人いるが、この状況について昨日修士1年の学生と話した。

私の結論を述べると、これから経済状況はさらに悪くなり、就職は厳しくなる。しかしながら、学生時代に適切な努力をした人はきちんと評価される良い時代になりつつある、ということである。

Panasonicが2011年の新規採用の8割を外国人にしたのは記憶に新しい。例えばhttp://www.j-cast.com/2010/06/20069022.html

「コストダウンのための安易な方法」との意見が多いが、コストダウンではなく、企業が必要とするスキルがそこにあるからに他ならない。

大学院でも日本人学生と留学生の能力の差は広がりつつあり(もちろん後者が能力が高い場合が多い)、大学教員としても企業がこの様な採用方針をとるのは至極当然であると思う。

また今後もグローバル化と海外採用の増加によって、日本国内企業でも上司、同期の半分が外国人のようになってくるのだろう。

その時何が必要になるか、自分なりに考えて努力をする学生が生き残っていくと思う。そしてその様な学生が増えて欲しいと思う。(日本人学生・留学生は関係なく)

厳しい状況ではあるが、大学院の研究を通じて自分を成長させようとしていた学生は間違いなく、企業は評価し、採用している。

「では、何を学ぶべきかというというに対する解答」に続きます。

参考
祝・新卒バブルの崩壊

地元で誕生日会

8月生まれ誕生パーティー

地元で8月生まれの子供のお誕生日会と親のちょっとした飲み会。

(写真はおもちゃには目もくれずに、佐賀の名酒「鍋島」http://nabeshima-saga.com/ に夢中の娘)

重要なのは研究者以外の他の業種の方とお話しをすると言うこと。研究者コミュニティーに日々どっぷりと浸かっている私にとって、他の業種の人のはお話を聞くことは、肩の力を抜いて物事を考える良い機会。

一連の測定終わり、1つのテーマの実験は一段落

ピエゾへの信号

昨日、コツコツと3年間続けてきたテーマの実験が全て完了した。(とは行っても新しい仮説、アイデアが出てきたらまたやるかもしれないけれど)

「なぜ生体内での選択的・特異的な分子認識がスムーズに行えるか?」「生体適合性とは?」という問に対して一つのヒントを与える結果だと思う。

仮説を立て、実験をし、それを元にモデルをいくつか挙げ、また仮説を立てて実験、の繰り返しであったが、これで骨太の論文が書けると思う。

研究を始めた頃は予想と異なる結果の連続で、なかなか自分の考えをかき乱される毎日であったが、最近半年間の実験はほぼ予想通りであった。これは自分の研究がどのステージにあるかの指標になります。

共同研究者のためにも良い論文を仕上げます。超大作になる予定。

雑記

等々力、私の出身地

米国の研究者の永住権取得のための推薦書を書き上げた。「世界を相手に持ちつ持たれつ」が出来るのが、研究者の特権であると思う。
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ちなみに論文の査読者からのコメントを受け取った直後にこの依頼が来た。そして推薦書を引き受けると返答した後に論文受理の知らせが・・・。私は彼が査読者の1人だと思っている。人生ではちょっとしたタイミングが我々にいろいろなことを想像させる(笑)。
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今週は論文2本を仕上げた。最終仕上げが一番時間がかかるのであるが、 ちょっとうれしい。

早速学生との実験も再開し、私はその合間に論文の補足データを測定するという感じで進んでいる。実験の合間にも別を書き物を進めているけれど、こうすると1日が終わるとくたくたになっている事が多い。
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本日は大学の事務の人が准教授昇進お祝いの飲み会を開いてくれることになっている。妻は「まだうかれているの?」ときくけれど、結構大きな節目だと思う。

しかし正直に言うと、内々定第一報を受けてからの1週間は心が浮つき大学内を歩き回ったりしていたが(笑)、その後はこれからの仕事の量を考えて、論文などはなるべく一気に片付けるような習慣が身についた(というよりもなるべく心がけている)。意外に自分に与えられた時間は短い。
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娘1歳の誕生日、この2年を振り返る

Miori
娘1歳の誕生日。

妻の妊娠以来、2年を振り返ると非常に感慨深い。

妻の妊娠
まず、妻がアルコール、カフェインを完全に絶つところ始まり、私はその周りであたふたとする毎日。とにかく何を準備して良いのか分からなかった。

妻のおなかが大きくなってからは、とにかく私は家事を手伝うように心がけたつもり。つわりも食べ物を受け付けなくなるほどにはきつくなかったようだ。フレンチポテトとイチゴが妙に食べたくなったようで、私もつきあって毎日のように付き合って食べていた。

産休も問題なくとれたようで、産休に入ってから妻はかなり楽しんでいたようだ。コンサートにも行っていたし。妻はかなりリラックスして出産を迎えられた方だと思う。

男は結局、妻の妊娠中は家事手伝いをしっかりやると言うことが一番良い。何か準備しようと思ってもよく分からないので、必要な物をその都度そろえた方が良いと分かった。

子供を持つ知り合いがいると、いろいろもらえて非常に助かる。ちなみにうちの子の衣服はほとんど買っていない。

出産
出産は私にとってまさに男の無力さを思い知らされた(笑)。「出産の立ち会いは必要ない」と宣告された(笑)私は、待合室で気を紛らわすために、de Genneの「表面張力の物理学」を読み、研究会の参加者への連絡メールを書いていた。そして去年の今日、14:03に娘が産まれたわけです。妻の回復も非常に早く、産まれた当日から娘と同室だったようです。そしてその夜のおむつの交換が7回だったそうだ。

私は父親、弟と藤が丘のホルモン焼き屋に。うちの父親はホルモン屋の店員さんにチップを渡していた(笑)。

産後も経過も良く、丁度夏休み時期であったので、私は早めに大学の仕事を切り上げて、毎日病院に向かった。1,2時間おきの授乳は大変そうであったが、産婦人科の雰囲気も良く(妻にとってはインターネットが使えたのが良かったらしい)、食事も美味しく、先生、スタッフがとても親切だったので、妻はかなりお気に入りだった様子。
ワキタ産婦人科
http://www.wakita-sanfujinka.com/

育児スタート
最初の2ヶ月は等々力の私の実家で妻と娘は過ごした。弟の部屋をきれいにして使わせてもらった。私は当初は藤が丘と等々力の滞在を半々くらいにしようと思っていたのであるが、結局我が子見たさにほとんど等々力に泊まることになった。父親、弟と飲む機会が妙に増えた。(これをきっかけに等々力の居酒屋をかなり開拓することになる)数時間おきに強制的に起こされるという生活は人生で初めてであったので、最初は体調を崩しそうになったが、これも慣れてきた。

藤が丘の自宅に帰ってきてからは、娘との寝室は別となり、娘はだんだんよるまとまって寝るようになってきたので、妻にとっては楽になってきたと思う。

1週間に1回でも良いので4-5時間、妻が育児から開放される時間があると、精神的にも楽になる。私の妻はPocket WifiとノートPCを持ってCafeに出かけていってリラックスした時間を楽しんでいました。

仕事との両立
私の場合幸運だったのが、子供が産まれる前後は論文執筆が主要な仕事になっていたことである。この仕事はノートPCさえあれば出来るので、比較的早い時間に帰宅し、娘をお風呂に入れてから、自室で仕事を進めることが出来るようになった。

また、育児と研究を両立するためには(私も未だ模索中であるが)、集中力が最も重要である。私の場合、娘を保育園に預けて(7:30)、大学に到着(8:10)分から娘が寝る前に帰宅し(19:30)、お風呂に入れるまでの時間しか職場で仕事をする事が出来ない。特に実験に関してはスケジュール通りに行かないことが多く、途中で中断し翌日に持ち越す事も多くなった。「如何に遊んでいる時間を減らして、効率を上げるか?」一方、効率追求のみでは、現在自分に出来ることのみに集中しがちになる。新しい研究の展開のためには、少々冒険をする必要があるので、どの様なバランスで研究を進めるかはtrial & errorのまっただ中です。

いずれにせよ、論文を書くネタがあるのは幸せなことで、あと3報の論文を書いて現在のところ手元のデータは無くなります。もう少し執筆中心の生活。

次は実験が多くなってきたときにどの様に家庭と両立させるかについて書きましょう。