娘1歳の誕生日、この2年を振り返る

Miori
娘1歳の誕生日。

妻の妊娠以来、2年を振り返ると非常に感慨深い。

妻の妊娠
まず、妻がアルコール、カフェインを完全に絶つところ始まり、私はその周りであたふたとする毎日。とにかく何を準備して良いのか分からなかった。

妻のおなかが大きくなってからは、とにかく私は家事を手伝うように心がけたつもり。つわりも食べ物を受け付けなくなるほどにはきつくなかったようだ。フレンチポテトとイチゴが妙に食べたくなったようで、私もつきあって毎日のように付き合って食べていた。

産休も問題なくとれたようで、産休に入ってから妻はかなり楽しんでいたようだ。コンサートにも行っていたし。妻はかなりリラックスして出産を迎えられた方だと思う。

男は結局、妻の妊娠中は家事手伝いをしっかりやると言うことが一番良い。何か準備しようと思ってもよく分からないので、必要な物をその都度そろえた方が良いと分かった。

子供を持つ知り合いがいると、いろいろもらえて非常に助かる。ちなみにうちの子の衣服はほとんど買っていない。

出産
出産は私にとってまさに男の無力さを思い知らされた(笑)。「出産の立ち会いは必要ない」と宣告された(笑)私は、待合室で気を紛らわすために、de Genneの「表面張力の物理学」を読み、研究会の参加者への連絡メールを書いていた。そして去年の今日、14:03に娘が産まれたわけです。妻の回復も非常に早く、産まれた当日から娘と同室だったようです。そしてその夜のおむつの交換が7回だったそうだ。

私は父親、弟と藤が丘のホルモン焼き屋に。うちの父親はホルモン屋の店員さんにチップを渡していた(笑)。

産後も経過も良く、丁度夏休み時期であったので、私は早めに大学の仕事を切り上げて、毎日病院に向かった。1,2時間おきの授乳は大変そうであったが、産婦人科の雰囲気も良く(妻にとってはインターネットが使えたのが良かったらしい)、食事も美味しく、先生、スタッフがとても親切だったので、妻はかなりお気に入りだった様子。
ワキタ産婦人科
http://www.wakita-sanfujinka.com/

育児スタート
最初の2ヶ月は等々力の私の実家で妻と娘は過ごした。弟の部屋をきれいにして使わせてもらった。私は当初は藤が丘と等々力の滞在を半々くらいにしようと思っていたのであるが、結局我が子見たさにほとんど等々力に泊まることになった。父親、弟と飲む機会が妙に増えた。(これをきっかけに等々力の居酒屋をかなり開拓することになる)数時間おきに強制的に起こされるという生活は人生で初めてであったので、最初は体調を崩しそうになったが、これも慣れてきた。

藤が丘の自宅に帰ってきてからは、娘との寝室は別となり、娘はだんだんよるまとまって寝るようになってきたので、妻にとっては楽になってきたと思う。

1週間に1回でも良いので4-5時間、妻が育児から開放される時間があると、精神的にも楽になる。私の妻はPocket WifiとノートPCを持ってCafeに出かけていってリラックスした時間を楽しんでいました。

仕事との両立
私の場合幸運だったのが、子供が産まれる前後は論文執筆が主要な仕事になっていたことである。この仕事はノートPCさえあれば出来るので、比較的早い時間に帰宅し、娘をお風呂に入れてから、自室で仕事を進めることが出来るようになった。

また、育児と研究を両立するためには(私も未だ模索中であるが)、集中力が最も重要である。私の場合、娘を保育園に預けて(7:30)、大学に到着(8:10)分から娘が寝る前に帰宅し(19:30)、お風呂に入れるまでの時間しか職場で仕事をする事が出来ない。特に実験に関してはスケジュール通りに行かないことが多く、途中で中断し翌日に持ち越す事も多くなった。「如何に遊んでいる時間を減らして、効率を上げるか?」一方、効率追求のみでは、現在自分に出来ることのみに集中しがちになる。新しい研究の展開のためには、少々冒険をする必要があるので、どの様なバランスで研究を進めるかはtrial & errorのまっただ中です。

いずれにせよ、論文を書くネタがあるのは幸せなことで、あと3報の論文を書いて現在のところ手元のデータは無くなります。もう少し執筆中心の生活。

次は実験が多くなってきたときにどの様に家庭と両立させるかについて書きましょう。

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