ピタゴラスイッチ、そのプロセス中に保存されるもの、情報に使われるエネルギーと個体の維持、系全体のエネルギー

2歳の娘が毎日じっと見ているピタゴラスイッチを私もぼんやりと見ている中で気付いたのは、系に蓄積されている位置・その他ポテンシャルエネルギーが運動・熱エネルギーに変換されるプロセスの中で保存されるのは”情報”であるということだった。

ただし、人間の扱う情報は自然法則の中では全く意味のないものである。例えばイチローの安打の数を(エネルギーを使って)0,1に変換して、(エネルギーを使って)記憶すると、例えばその場の気温の推移を(エネルギーを使って)0,1に変換して、(エネルギーを使って)記憶するのは使用するエネルギーという観点からは同じである。

一方で、この情報を扱う事によって、ある個人の生命を維持する(低いエントロピーを保つ)のに大いに役に立っていたら、ある程度大きい系(例えば銀河系)などではエネルギー的な観点から、がとれるような気がしてきた。全く別に扱っていた情報と系の物理的なエネルギーが同じステージで扱えるようになる。ここに生命体の意味があるのかな?では、技術の進歩(CPU、メモリの性能)はどの様な意味を持つのだろうか?

という事を夢の中で考えていて目が覚めました。疲れているんだろうか(笑)?さて、本業に戻る事にする。

(写真はPaper cameraで撮った私のoffice)

大津のいじめ事件に思う

今回の大津のいじめ自殺事件に関して、学校、教育委員会の会見映像を見ると、事の重大さが関係者から全く伝わってこない。

一方、関連して直近の印象に残ったニュースとして
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120624/amr12062414290002-n1.htm

クラインさんをいじめた13歳の中学生の父親はメディアに出演し、息子の過ちを謝罪。クラインさんは警察に通報する考えのないことを明らかにした。

とのことで、いじめに関わったこの父親がテレビ出演して謝罪している。テレビで謝罪の是非は置いておいて、親が子供の悪事に対して社会に謝罪するという行為は、もはや日本では無くなってしまった。無論今回の事件で親やいじめを見過ごしていた(見逃していたではない)教師が表舞台に出てくることはないであろう。

大人が体を張って責任を持って子供を教育していくという点で、日本は後進国に成り下がりつつある。