雑記

等々力のお祭り(玉川神社)

今週仕事が飽和しつつある瞬間を向かえた(笑)。

書いている論文が2つ。申請書2つ。査読論文1つ。学生の実験、最近大変なのが、短期留学生の実験で、意外と時間がかかってしまっている。学部の留学生を2ヶ月指導するというのは意外と大変だ。

去年よりも妙に大変なのであるが、よく考えたら大学での研究期間が長いのだった。

週末のうちに、査読を1つ仕上げることが出来た。結果がしっかりしていたので、私なりになるべく良い論文になるようにpositiveなコメントをひたすら並べた。

今週は着実に仕事をこなすのみ。

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娘はひたすら絵本を読むのを要求してくる。そして、言葉を覚え始めている。
「パパ」
「ママ」
「ワンワン」(名詞と吠え方の2バージョン)
「バイバイ」
「でんあ(電車)」
複合語としては
「でんしゃばいばい」
「でんしゃしゅっぱーつ」

その他、聴き取れない単語いくつか。絵本を読んで欲しいときに僕らにかけてくる言葉も決まっているのだが、聴き取れない。本人は自信たっぷりに話しているけれど。
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昨日は学内の若手教員向けの研究奨励賞の授賞式に出席。

今までの研究成果に対してというよりも、これからの研究計画に対しての賞なので、素直に喜べない(笑)。

代表者のプレゼンを聴いて、身の引き締まる思いをする。自分で土俵を作って戦ってやるという反骨心と、素直に「本質的なレベルの高い研究だ」という敗北感の葛藤か?(笑)

自分のペースで目の前の仕事をベストパフォーマンスで遂行していく以外に道はないですな。

ついに歩き出す

等々力のお祭り(玉川神社)

2010年9月19日 ついにうちの娘が初めての一歩を踏みだし、自分で歩くことが出来た。1回目は1歩、2回目はいきなり5歩くらい歩いたのだが、その後ははいはいに逆戻り。なかなかの慎重派である。

保育園のlog noteには「今日は手を繋いで外を歩きました」なんて書いてあって、おっ、と思うこともあるのだが、家では初めて。もしかしたら保育園では、さらに成長した姿を見せているのかもしれない。この1ヶ月、また発達が早くなりそう。

長崎へ出発

本日より木曜日まで、長崎に出張します。

学会では座長、幹事会などに参加しますが、今回はなんと自分の発表はありません。おかげで、他グループの研究発表の聴講に集中することが出来ます。

空き時間に論文のsupporting infoを書き続けています。週末までに英文校閲にまわすことが出来れば・・

Mike PortnoyがDream Theater脱退

先週一番の衝撃のニュースはMike PortnoyのDream Theater脱退のニュースであるが(9/8 午前10時頃 Twitter経由にて)、その後週末に情報源をみて、私なりに分析したところによると、彼の他のプロジェクトが一区切り付いた時点で、Dream Theaterに戻る事を示唆しています。どのくらいのスパンか不明ですが。

それにしても今年のサマソニに行かなかったのが悔やまれます。

Twitterより:
MP leaves DT Press Release: http://www.mikeportnoy.com/forum/m2585154.aspx2:29 PM Sep 9th webから

Absolutely amazing recent MP interview that was just posted…hopefully this will put a smile on everyone’s faces… http://fb.me/FyvFQPZx

http://www.roadrunnerrecords.com/blabbermouth.net/news.aspx?mode=Article&newsitemID=145872

日本の理系大学院生への経済的支援

刈いれの時期。

ご利用は計画的に:旧育英会は「日本学生ローン機構」に改名すべき
http://viking-neurosci.sakura.ne.jp/blog-wp/?p=4523

日本の大学院生への経済的支援の状況は悪すぎる。

独立行政法人日本学生支援機構:JASSO (旧 日本育英会)のからの奨学金(はっきり言って消費者金融と同じレベルであるが)の未返済が問題になっている。

育英会から借金をする時に、返済に関して同意して契約を交わしたのであるから、それを返却するのは当たり前というのが前提であるが、日本は理系大学院生への経済的支援のレベルが低すぎる。

参考資料:
理工系のアメリカ留学
http://aoitani.net/aotani/Studying_Abroad/US_for_Science_and_Engineering_Majors.html

私の知る限りではアメリカ、スイス、ドイツ、オーストリア、イタリアは学位取得の研究がRA(Research Assistant)としての仕事と認められ、ささやかだけれども十分に自立して生活できる給料が支払われる。

(国、大学、さらに研究室単位でRAの他にTA(Teaching Assistant)が義務になる事がある。私の場合(ドイツ ハイデルベルグ大)では、学生実験の指導、レポートの採点の仕事があった。私はドイツ語が出来なかったので、研究室のネットワーク管理、真空装置の管理がdutyとなった)

一方、学生は研究室ではスタッフとして扱われるわけで、パフォーマンスが低い場合には解雇もあり得る。

大学教員となって感じたことであるが、大学の定員割れを防ぐために、大学院生をお客のように扱って、そして研究発表などで耳を疑うようなレベルの学生でも修士を与えて卒業させてしまうことが多々ある。

資源のない日本が発展した理由として、科学・技術に基づいた産業があったからなのであるが、次のリーダーとなる理系大学院生がこの様な環境でトレーニングを受けるのは非常に良くない。少なくとも博士課程の学生は自立して生活できるような予算などのシステムが必要である。

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学生時代から「もし自分が大学教員になったら、博士課程の学生には自立して生活出来るような環境を作りたい」と思っていたが、悔しいけれど自分の非力さを感じてしまう。しかしながら、東大、東工大の博士課程の授業料免除をはじめ、状況は変わりつつある。これが定員割れを防ぐための一時的な手段で終わることなく、大学院生の経済的自立、将来を担う人財のトレーニングの場としての大学院教育の改革に繋がっていくことに貢献できればと思っている。

また、グローバル化が進む社会では高度なトレーニングを積んだ博士号取得者の増加が問題なのであるが、「ポスドク問題」のような問題もある。これについては稿を改めたいと思う。

雑記

BTS 2010
2週間前に出来た直径1 cmの口内炎がようやく収まってきた。週末の合宿中の丁寧なアルコール消毒が効いたと思われる。

しかし、新しいのも出来ていて、少々疲れがたまっているのか?と一瞬思ったが、そんな感じでもない。夕方は疲れが出るが、気合いで何とか持ってしまう毎日。丁寧なアルコール消毒を心がけていこうと思う(笑)。
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今年もドイツ人の学生を2ヶ月面倒見ることとなった。昨年と違うところはM1の学生が実験を見せて、そして実験に参加してもらうという形式になったこと。

M1の学生も自分の実験を英語で説明する良い機会になると思う。是非貴重なこの機会を最大限に活用してもらいたい。
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昨日は都内某所、分光器のメーカに技術的な内容について相談に乗ってもらう。

対応してくれたのは40-50歳くらいの方と、若い女性のセールスエンジニアのお二人。

年配の方は我々が所有している旧型の分光器(おそらく彼が開発に関わったのだろうと想像する)についてその設計について熱く語ってくれる。そして現行機の弱点などを赤裸々に話す(おそらく開発時に納得いかなかったのだろう??)。

彼の熱い語りの途中に、冷静に私のニーズをくみ取りうまく会話の中に入れてくれる女性の方。

おそらく、普段の開発もこの様に進んでいるのだろう。私の好きそうな技術開発の職場の雰囲気。
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帰りに買ってきた焼き栗。http://www.kyo-yakiguri.com/
本日、食事前なのに妻と食べてしまった。かなり甘く、おすすめです。

公式ホームページの自己紹介

Miori

研究室の自己紹介部分を一新した。(日本語のページをちゃんと作った)
以下、経歴の紹介文である。走り書きなので、機会を見て更新していく予定。
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1974年
横浜の病院で産まれる。東京は世田谷の実家で育つ。
幼少時はプロ野球選手を目指して、ひたすら素振りと投球練習を繰り返していた。この経験は後ほどテニスで生かされることになる。父の影響で計測制御(特にロボット)、プログラミング、科学に興味を持つ。

1990-1993
神奈川県 聖光学院高等学校 (中学・高校と硬式テニス部所属)

テニスに明け暮れる毎日。気管支炎になることが多かったのであるが、炎天下での猛練習を通じていつの間にか気管支炎は治り、普通の人よりも瞬発力、持久力が付いた。この体力は後に研究でとても役に立つことになる。

1993-1997
早稲田大学 理工学部 応用物理学科

在学中はテニス、コンピュータプログラミング、音楽に夢中になっていた。卒業研究をきっかけに固体物理、表面科学に強烈な興味を持ち始める。しかし、研究者になろうとは思ってもいなかった。研究者という職業についての明確なイメージがなかったと思われる(指導教員しか知らない)

1997-1998
フリーで音楽活動を行う。ライブハウスでの音響設備を設定するフリーランスの技術者+αとして生計を立てる。時には自分で演奏も行っていた。しかし、その後研究の道に進むことを決意。

1998-2000
筑波大学 工学研究科 物質工学系 博士課程

金属表面上の自己組織化単分子膜(SAM)の吸着構造に関する基礎的な研究を行った。昼は実験、夜は理論計算という非常に不器用でタフな生活をしていた。このとき理論計算を指導してくれた森川研究員(現大阪大学 森川教授)には真摯に研究に打ち込む重要性とその姿の美しさを教えられた。
修士入学直後、ある企業の研究開発の現場を見て、世界で活躍するにはどうしても博士号が必要だという、悔しいけれど明確な現実を知る経験を経て、博士課程への進学を決める。

2000-2003
ドイツ ハイデルベルグ大学 物理化学科 応用物理化学専攻

(日本語正式名称がないので私独自の表現を使っている)

当初、アメリカの大学に留学したかった。TOEFL、GREは何とかクリアしたのだが、日本の修士号は認められず、修士1年からやり直さなければいけない事が分かったので、留学先にヨーロッパを含め再検討をした。Prof. Grunzeがつくばでセミナーを行ったときに少しお話しをする機会を頂き、彼のホームページでPh.D. studentのポジションが空いていることを知り、思い切ってメールを書いてみた。すると20分後に返答がきて、その5分後にドイツ留学を決意した。
この過程を通じて、日本の修士号の信用度が低いということと、若いときには重要な決定もあっさり下せるという事が分かる。
ドイツ留学後1年で結婚をし、その後妻がドイツにやってきて一緒に暮らすこととなった。名実ともに人生で初めての「あとに引けない状況」となった。

研究テーマにも恵まれ、2年半で博士号を取得することが出来た。企業への就職が決まっていたが、ポジションをキャンセルし、アカデミックで基礎研究を続けると決意した。(「成功も失敗もない人生ではなく、成功も失敗もする人生を選んだ」と当時の日記に書かれているが、今考えるとずいぶん思い切った決断だったと思う)

2003-2006
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 産学官連携研究員

理研 フロンティア研究機構 局所時空間機能 研究チーム 客員研究員

博士研究員(ポスドク)として「生体分子でデバイスを作る」というプロジェクトに参加させてもらった。本務先の研究室は更地の状態からのスタートだったので、はじめは週に1度ほど、理研の方にお邪魔して研究させて頂き、東工大では研究室の立ち上げ作業が続いた。次々と結果を出し続けている理研、他の大学のポスドクを横目で見ながら、粛々と研究室立ち上げをする毎日。内心少し焦っていた。1年半ほどして、生体分子と人口表面の相互作用測定が出来るようになり、論文も出始めて落ちついて研究を行えるようになった。プロジェクトの同期のポスドクメンバーは文字通り世界中で活躍しているが、本当にかけがえのない友人&研究者です。

2006 Apr- 2007 May
産業技術総合研究所 計測標準研究部門 研究員

ISO, JISなどの標準化に関わる仕事をした。国家標準がどの様な手順で決められているか?その標準を決定するためのサイエンス、技術の進歩など1年間だけだったが、とても勉強になった。

2007 June-2010 June
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 助教
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員

初めて学生と一緒に研究を進めることになった。私自身、今まで助手(助教)のいる研究室には一度も所属したことが無く、自分の学生時代に助教の先生が指導してくれたら、どこがスムーズにいったかを考えながら、試行錯誤の毎日。意欲的に英語の投稿論文を執筆する修士の学生もいて、私と学生がお互いが成長する様子見ながらの毎日であった。
2009年には娘も産まれ、大学と家庭板挟みの生活に突入した。

2010 July-Present
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 准教授
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員

准教授に昇進し、大学の業務にも関わっていくこととなった。専攻会議、入試、教授会などにも参加するようになり、大学がどの様に運営されているかをようやく知ることになる。研究目標、研究者としての目標も新たにし、研究、教育、子育てに邁進している毎日です。

その他

言語: 日本語(母国語)、英語、ドイツ語

趣味: 音楽(ギター演奏、DTMを用いた作曲、編曲)・写真・マラソン・散文を書く事

研究のキーワード:
表面・界面科学, 走査型プローブ顕微鏡, バイオインターフェース, ナノバイオテクノロジー

iPhone版Omni Focus 1.7.2がクラッシュする

他のアプリでも時々あるのだが、私の仕事に欠かせないTo Do管理ソフトであるiPhone版Omni Focus 1.7.2が起動と同時にクラッシュするようになってしまった。1.7.1から1.7.2にバージョンアップでクラッシュの問題が解決されたとのことであったが、昨日から急にクラッシュするようになった。原因不明。iPhoneの再起動も役に立たず。

MacBook ProのOmni Focusのみで仕事を進めていくことになる。いつも身につけているiPhone版が使えないのは少々不便です。

Mac上のアプリがクラッシュが繰り返される場合には、キャッシュをクリアしたり(Snow Leopard Cache Cleaner等を用いて)すれば治ることが多いのであるが、iPhoneアプリの場合はそうはいかない。自分で手を施すことが出来ないところがもどかしい点です。

追記:
2010/9/30 治りました! 起動直後にデータベースの最適化を待つことなく、強引に新規タスクを入れてやることで、治りました。

では、何を学ぶべきかというというに対する解答

なたまめ
就職活動について学生と話した、在学中に何をすべきか? から続きます。
では次に、「では何を学んでおくか?」という議論になる。

もちろん、それは自分がどの様に社会で活躍していたいかということに関してイメージを持っていなくてはいけない。

明確ではないにしろ、目標がなければ始まらない。理系の大学院ともなると、研究・開発に関わる仕事が大部分だと思うが、大部分の人が選択する「企業で研究開発を行う」という、キーワードのみで考えると一気に視野が狭くなってしまう。

10年後位を見据えたシーズを探索するような研究か、製品開発なのか?技術サービス・営業のような仕事をしたいのか?知的財産を扱うような仕事がしたいのか?もしくはそれらを全て行いたいのか?

顧客とのコミュニケーションを通じて製品を作っていくような仕事か、社内の技術者達とひたすら自分たちの技術を磨くようなスタイルで研究を行いたいのか?

そしてそれは企業への就職という選択でよいのだろうか?サイエンスライターなど最先端の科学・技術と社会を結ぶ仕事も多数存在するし、政府・官庁も科学・技術に理解のある人財を求めている。

5年、10年後に仕事は自分にとってどの様な意味を持っているか?自分の家族に自分の仕事について誇りを持って語ることが出来るのか?

結局、自分はどの様なライフスタイルを求めているのか?という問に帰着するような気がするが、やはり自分と真剣に向かい合って、そこで自分が何をすべきかきちんと考えた上で、何をすべきかを自分なりに決定し、そして根気よく実行した学生が卒業して5年、10年たった後、生き生きとしている。(私の同級生、教え子を見ると)

現在は様々な選択肢を自分の今ある知識でシミュレーションしてみると、自分が何を身につけるべきかだけではなく、自分が潜在意識の中にある自分が求めているライフスタイルなども浮かび上がってくる。

これは私が大学卒、修士卒、博士号取得後に行ったことである。是非、頭でぼんやり考えるのではなく、紙と鉛筆を持ってやってみて欲しい、ということを学生に伝えた。

次は「人生はシミュレーション通りには行かないけれども、トレーニングによって身に付けた能力には以外に無駄なことは少ない」と感じた私のケースについて書こうと思います。