
研究室の自己紹介部分を一新した。(日本語のページをちゃんと作った)
以下、経歴の紹介文である。走り書きなので、機会を見て更新していく予定。
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1974年
横浜の病院で産まれる。東京は世田谷の実家で育つ。
幼少時はプロ野球選手を目指して、ひたすら素振りと投球練習を繰り返していた。この経験は後ほどテニスで生かされることになる。父の影響で計測制御(特にロボット)、プログラミング、科学に興味を持つ。
1990-1993
神奈川県 聖光学院高等学校 (中学・高校と硬式テニス部所属)
テニスに明け暮れる毎日。気管支炎になることが多かったのであるが、炎天下での猛練習を通じていつの間にか気管支炎は治り、普通の人よりも瞬発力、持久力が付いた。この体力は後に研究でとても役に立つことになる。
1993-1997
早稲田大学 理工学部 応用物理学科
在学中はテニス、コンピュータプログラミング、音楽に夢中になっていた。卒業研究をきっかけに固体物理、表面科学に強烈な興味を持ち始める。しかし、研究者になろうとは思ってもいなかった。研究者という職業についての明確なイメージがなかったと思われる(指導教員しか知らない)
1997-1998
フリーで音楽活動を行う。ライブハウスでの音響設備を設定するフリーランスの技術者+αとして生計を立てる。時には自分で演奏も行っていた。しかし、その後研究の道に進むことを決意。
1998-2000
筑波大学 工学研究科 物質工学系 博士課程
金属表面上の自己組織化単分子膜(SAM)の吸着構造に関する基礎的な研究を行った。昼は実験、夜は理論計算という非常に不器用でタフな生活をしていた。このとき理論計算を指導してくれた森川研究員(現大阪大学 森川教授)には真摯に研究に打ち込む重要性とその姿の美しさを教えられた。
修士入学直後、ある企業の研究開発の現場を見て、世界で活躍するにはどうしても博士号が必要だという、悔しいけれど明確な現実を知る経験を経て、博士課程への進学を決める。
2000-2003
ドイツ ハイデルベルグ大学 物理化学科 応用物理化学専攻
(日本語正式名称がないので私独自の表現を使っている)
当初、アメリカの大学に留学したかった。TOEFL、GREは何とかクリアしたのだが、日本の修士号は認められず、修士1年からやり直さなければいけない事が分かったので、留学先にヨーロッパを含め再検討をした。Prof. Grunzeがつくばでセミナーを行ったときに少しお話しをする機会を頂き、彼のホームページでPh.D. studentのポジションが空いていることを知り、思い切ってメールを書いてみた。すると20分後に返答がきて、その5分後にドイツ留学を決意した。
この過程を通じて、日本の修士号の信用度が低いということと、若いときには重要な決定もあっさり下せるという事が分かる。
ドイツ留学後1年で結婚をし、その後妻がドイツにやってきて一緒に暮らすこととなった。名実ともに人生で初めての「あとに引けない状況」となった。
研究テーマにも恵まれ、2年半で博士号を取得することが出来た。企業への就職が決まっていたが、ポジションをキャンセルし、アカデミックで基礎研究を続けると決意した。(「成功も失敗もない人生ではなく、成功も失敗もする人生を選んだ」と当時の日記に書かれているが、今考えるとずいぶん思い切った決断だったと思う)
2003-2006
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 産学官連携研究員
理研 フロンティア研究機構 局所時空間機能 研究チーム 客員研究員
博士研究員(ポスドク)として「生体分子でデバイスを作る」というプロジェクトに参加させてもらった。本務先の研究室は更地の状態からのスタートだったので、はじめは週に1度ほど、理研の方にお邪魔して研究させて頂き、東工大では研究室の立ち上げ作業が続いた。次々と結果を出し続けている理研、他の大学のポスドクを横目で見ながら、粛々と研究室立ち上げをする毎日。内心少し焦っていた。1年半ほどして、生体分子と人口表面の相互作用測定が出来るようになり、論文も出始めて落ちついて研究を行えるようになった。プロジェクトの同期のポスドクメンバーは文字通り世界中で活躍しているが、本当にかけがえのない友人&研究者です。
2006 Apr- 2007 May
産業技術総合研究所 計測標準研究部門 研究員
ISO, JISなどの標準化に関わる仕事をした。国家標準がどの様な手順で決められているか?その標準を決定するためのサイエンス、技術の進歩など1年間だけだったが、とても勉強になった。
2007 June-2010 June
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 助教
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員
初めて学生と一緒に研究を進めることになった。私自身、今まで助手(助教)のいる研究室には一度も所属したことが無く、自分の学生時代に助教の先生が指導してくれたら、どこがスムーズにいったかを考えながら、試行錯誤の毎日。意欲的に英語の投稿論文を執筆する修士の学生もいて、私と学生がお互いが成長する様子見ながらの毎日であった。
2009年には娘も産まれ、大学と家庭板挟みの生活に突入した。
2010 July-Present
東京工業大学大学院 総合理工学研究科 物質電子化学専攻 准教授
理研 基幹研究所 揺律機能研究チーム 客員研究員
准教授に昇進し、大学の業務にも関わっていくこととなった。専攻会議、入試、教授会などにも参加するようになり、大学がどの様に運営されているかをようやく知ることになる。研究目標、研究者としての目標も新たにし、研究、教育、子育てに邁進している毎日です。
その他
言語: 日本語(母国語)、英語、ドイツ語
趣味: 音楽(ギター演奏、DTMを用いた作曲、編曲)・写真・マラソン・散文を書く事
研究のキーワード:
表面・界面科学, 走査型プローブ顕微鏡, バイオインターフェース, ナノバイオテクノロジー