イタリア人

僕はトマトソースの味、トマトを使った料理が大好きで、グラタン、ラザニエ、ピザなどイタリアン料理には目がありません。さらに時々妙にはしゃいだりして明るくなることから、「前世はイタリア人だったのだろうね。」なんて妻に話しています。実際、イタリアの文化も大好きで(以前半月掛けてイタリア縦断旅行をした。)、休日などはほんとにのんびりと過ごしたりします(これはヨーロッパ暮らしの名残か?)。

しかし、今日この記事を見て、妻にだけは「前世はイタリア人」とは言わない方が良いと思いました。

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200601130007.html

より引用

「浮気」よりも「食べ過ぎ」に罪悪感 イタリア調査

2006.01.13

Web posted at: 13:25 JST

  • CNN/REUTERS

ローマ──イタリア人にとっては「浮気」よりも「食べ過ぎ」の方が、より罪悪感を感じる行動──だということが、ある調査の結果で明らかになった。

イタリアの心理学誌の「Riza Psicosomatica」が25─55歳の1000人以上を対象に、「罪悪感を感じる行動」について調査。

その結果、7つの項目から選ばれた最も罪悪感を感じる行動は、「食べ過ぎ」だったという。

一方で、「男女関係における不貞」の割合は最も低く、「家族や友人を無視すること」や「仕事での失敗」「体形を気にしないこと」などを下回った。

イタリアでは、国民の9割以上がカトリック教徒。しかし、宗教上の規則が罪悪感を引き起こす基準になると回答した人は7%に過ぎず、ほとんどの人々が、社会道義や愛する人の考えが罪悪感に結びつく、と答えている。

パターン認識をするコンピュータ (retrievrを見て感じたこと)

マウスで描いた絵を画像のデータベースから検索する”retrievr”というページがある。

http://labs.systemone.at/retrievr/

山、樹木を書くと近い絵が検索されるので、かなり精度は高いと思われる。人の顔でも何とか認識してくれるときもある。

なぜ、このページに興味を持ったかというと、実はウチの研究室のテーマの一つに「デジタルを超えるアナログ材料の開発」というものがある。コンピュータは正確な計算結果を間違いなく出し続けることが出来るが、プログラムされたこと以上のことは出来ない。一方、人間は、例えば一目見ただけで、子供がどちらの親に似ているかとか、曖昧だけれども今までの経験に基づいて判断を下すことが出来る。このような曖昧だけれどもある程度の判断が出来る従来とは異なるコンピュータの開発が必要になってくるだろう、とのモチベーションで研究を行っている研究者がいる。

曖昧だけれども自己判断能力を持つ、そして過去の失敗・成功によって成長していくコンピュータ(というか人工頭脳)を構築するためのアプローチなんて私には全く想像も付かないが、実現すればターミネータのような世界が現実になるおそれがあるなあ、とふと考えてしまった。

融合領域の学会で一度講演を聴いたことのある東大柴田直教授のインタビュー記事を載せておく。

http://pcweb.mycom.co.jp/articles/2005/01/01/brainlsi/

P.S. 実はこの先生の講演は非常に面白く、「これからのコンピュータで必要なのは、画面の下の方でいらいらされるイルカではなく(笑)、負荷の少ない、人間のような判断ができる、デバイスの開発だ。」といって会場の爆笑を誘っていた。

Macworld Expo 2006 Keynote Speech by Steve Jobs

今回のKeynote Speechも早速Quicktimeのストリーミングで公開された。

http://macworld.apple.com.edgesuite.net/mw/index.html

僕はいつもこの基調講演を見るのを楽しみにしていて、インターネット上で新製品が明らかになっていながらも、わくわくして見てしまう。あっという間に夢中になってしまうのだ。今回の講演は90分と非常に長いスピーチであったが、ところどころジョークを混ぜたり、新しいコマーシャル(かわいそうなIntelプロセッサーのAdは必見!)、客席とのチャットを見せたりと、非常に楽しませてもらった。

「XXが出来るから、YYを買ってくれ」というようなプレゼンではなく、「XXが出来るから、これによりいろいろなことが簡単にできるようになる。」と、様々な可能性を消費者に提案してくれる。それによって消費者の新しいデバイスによる新しい表現の仕方、音楽、映像などの楽しみ方に関する想像力が刺激される。

僕も研究発表でこのようなプレゼンをしたいと思うが、何せこういうプレゼンでは「強力な成果」が必要になるわけで、自分でも惨めと思える結果でのプレゼンは正直言ってつらい(笑)。というわけでJobsのスピーチが自分の仕事に対する刺激になっていることは確かだ。

ポスドク問題 イントロダクション

最近、研究者仲間、そしてそうではない人からも良くきかれる事のあるポスドク問題について述べたいと思う。ちなみに筆者は博士課程修了後2年間をポスドクとして過ごしてきた。ここでは一応フェアな立場をとるように心がけ、ポスドクを通じて自分が感じたことなどについて書いていきたい。

ポスドクとは博士号をとった後、任期付きで(通常2-3年)研究をしている研究者を指す。通常は競争的研究資金によってプロジェクトごとに雇われている事が多い。つまり、「~の開発と研究に関するプロジェクト」が5年だとすれば任期は最長5年で、そのプロジェクトが終了すればポスドクは次の就職先を探さなくてはならない。ポスドクはもし研究を続けることを希望するなら、いつかは企業、研究所、大学などに常勤のポジションを見つけなくてはならないのだが、このポジションの数に対してポスドクの数が圧倒的に多く、将来職がないポスドクであふれかえってしまう、というのがポスドク問題である。これは、30代後半から40歳代に及ぶ博士号を持ったフリーターが急増する原因として危惧されている問題である。

少し古いが2000-2003年度の記事として

http://www.sci-news.co.jp/news/200505/170513.htm

ポスドク問題を記述する記事として

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20051102ddm016070133000c.html

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20051109ddm016070061000c.html

その他、この「理系白書」は研究の現場を記述する記事としては、研究者ではない方にとって興味深いと思います。

応用物理学会でのフォーラム

http://www.jsap.or.jp/activities/gender/2004s_report.html

今後のポスドク問題対策としての資料

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/siryo/05051801/006.htm

そしてその参考文献(現在の状態では実現までに時間がかかりそうなものばかりですが、非常にヒントになる事柄が多いと思います。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/siryo/05051801/006/001.htm

この問題の舞台となっているのは研究の現場となっているため、ポスドク以外の人(たとえ研究室の学生、テクニシャンにとっても)には実態をつかむことが難しい問題であると思われる。少しでも研究者以外の人にこの問題についてイメージが持てるよう、自分が調べたことなどをここでまとめてみたい。また、総論では自分が今までに見てきたポスドク環境の国による違い(アメリカ、ヨーロッパ)、ポスドクのキャリアパスの選択肢、それに対するポスドクの認識について述べてみたいと思う。

ポスドク問題1

最近、研究者仲間、そしてそうではない人からも良くきかれる事のあるポスドク問題について述べたいと思う。僕は博士課程修了後2年間をポスドクとして過ごし、そして4月から某独立行政法人研究所の職員として研究を行う予定である。ここでは一応フェアな立場をとるように心がけ、ポスドクを通じて自分が感じたことなどについて書いていきたい。

ポスドクとは博士号をとった後、任期付きで(通常2-3年)研究をし、次のポジション(大学研究所などの常勤のポジション)

http://www.sci-news.co.jp/news/200505/170513.htm

逆説の戒律

ネットで出回っている、またマザーテレサがとても感動し部屋に飾っていたといわれている「逆説の戒律」を載せます。こうありたいと思わせる文章です。

以下の翻訳はいろいろなところに見つかりますが、オリジナルの翻訳は

http://air.geo.tsukuba.ac.jp/~eddie/

のホームページの作者さんと思われます。

「逆説の戒律」

人々はしばしば不合理で、無分別で、自己中心だったりします。

それでも、彼らを愛しなさい。

良い事をしても、人々はあなたに自分勝手な隠れた

動機があるのだろうと非難するでしょう。

それでも、良い事をしなさい。

あなたが成功すれば、あなたの周囲にはおべっか使いの

不実な友人や、真の敵が増えるでしょう。

それでも、成功しなさい。

今日行った良い事は、明日には忘れられてしまうでしょう。

それでも、良い事をしなさい。

あなたの正直さと率直さは、

あなた自身を傷つけるだけかもしれません。

それでも、正直で、率直でありなさい。

偉大な人による偉大な考えは、

ときとして最も些細で稚拙な意見によって潰されてしまうかもしれません。

それでも、偉大でありなさい。

人々は口では勝ち目のない方を応援していても、

結局は勝ったほうにつきたがります。

それでも、勝ち目のない少数の人のために戦いなさい。

あなたが何年もかけて作り上げたものは、

一晩で破壊されてしまうかもしれません。

それでも、作り上げなさい。

人々は助けを求めていますが、

本当に助ければ手を返してあなたを襲うかもしれません。

それでも、人を助けなさい。

あなたの持てる全てを世界に与え尽くしても、

それでも十分ではないと言われるかもしれません。

それでも、あなたの持てる全てを世界に与え尽くしなさい。

あなたと、あなたを傷つける人々との関係は、

そもそもどうでもいいことだったのです。

結局大事なことは、あなたと神様との間の関係だったからです。

以下原文

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The Paradoxical Commandments

by Dr. Kent M. Keith

People are illogical, unreasonable, and self-centered.

Love them anyway.

If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.

Do good anyway.

If you are successful, you will win false friends and true enemies.

Succeed anyway.

The good you do today will be forgotten tomorrow.

Do good anyway.

Honesty and frankness make you vulnerable.

Be honest and frank anyway.

The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds.

Think big anyway.

People favor underdogs but follow only top dogs.

Fight for a few underdogs anyway.

What you spend years building may be destroyed overnight.

Build anyway.

People really need help but may attack you if you do help them.

Help people anyway.

Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth.

Give the world the best you have anyway.

Kyoto2005

水曜日から大阪にワークショップで出張して、金曜からは来月からアメリカに行ってしまう友人の家にお世話になった。久しぶりの再会で、初日はそばを一枚ビールと食べてから、家で日本酒を飲み、6時間ほど飲み続けた後、ラーメンで締める、なんて一日を過ごしました。土曜日からは妻も合流し、蓮花寺、鞍馬温泉、などを廻り、居酒屋で夕飯。菊姫の濁り酒が最高でした。その後はまた、日本酒会だったのだけれども、こんなに飲んだのは久々だ。最終日はこの年になって、しかも妻も一緒にラーメン屋のはしごをしてしまった。

友人と別れた後は、妻と一緒に日本酒を楽しむための食器を買いに行ってきた。良いものを見つけたので、これから楽しみです。

表現の場としての自宅サーバー

我が家の様々な仕事を一手に引き受けてくれているのが、Mac miniで動いている自宅サーバである。自宅サーバ計画は今までに何回も考えていたが、Mac miniの登場が一気に実現の後押しをしてくれた。

サーバをたてようと思ったきっかけは、ネット上に自分がいつでも、好きなだけ使えるスペースが欲しかったというのが全てのきっかけ。それはそれで、とても便利に使えている。しかしその後、それだけではもったいないような気がして、何が自分で表現したものを制限無く置いておけるギャラリーのような使い方が出来るような気がしてならなかった。今までもWEB上に日記、文章などを書いてきたが、本当に自分が開いている展覧会という気がしなかった。しかし、今は自分のギャラリーを手に入れたのだから、どこにどのような文章、写真を載せようと、自分の自由である。これにより、自分の想像力に刺激を与えられているのを感じている。

ちなみにburggartenとはドイツ語で”王宮庭園”という意味で、自分がKingで何を試しても良いという場所、そしてドイツでの自分の住所の一部でもある。ひょんな事から身近になった単語だが、とても気に入っている言葉で、多分一生、自分の好きなものにこの名前を付けるだろう。