さらばミノルタ!

今日、ミノルタのカメラ&レンズを売ることを決心した。それに伴いリコーのGRも売ることにした。そうなると手元に残るカメラは亡くなった祖父からのプレゼントのα-3700iとCanon PowerShot G5だけとなる。

写真を撮り続けてもう15年になる。きっかけは祖父からもらったα-3700iだった。これを持って祖父の故郷である台湾を二人で2週間旅行し、その中でひたすら写真を撮ったのが、写真が好きになるきっかけだった。

それ以後手に入れたα-7xiや念願のフラッグシップであるα-9にもかなりの思い入れがある一方、それらが自分の写真の技術を成長させてくれたのは確かではあるが、思い出という点ではα-3700iと比べるとかすんでしまう。それ以上にメーカーが変わったからといって自分の写真の撮り方、好きな画角が変わるわけでもなく、自分の写真を撮り続けていける自信はあるだから、別に他の会社の一眼レフデジカメでも良いと思ってしまうのだ。

4月からはもっと真剣に写真を撮っていきたいと思っている。つくばだったらいろいろ良い風景があるのは知っているからね。

P.S. とはいってもやはりそれぞれのカメラに思い入れがあります。一人ドイツで寂しいときに近くの原っぱで写真を撮った思い出とか・・・。カメラ以外にも、博士号をとったときに自分へのご褒美として買った万年筆とか、博士号をとれると仮定して自分へのご褒美としたMacとか(笑)、アカデミックに戻ると決心したときに飲んだビールの空き瓶とか・・・。身の回りはガラクタだらけだけれども、良い人生を送っていると、自分でも思ってしまいます。

ブロードバンド環境の移行

引っ越しを間近に控え(といっても1ヶ月先だが)、ブロードバンド環境の移行に頭を悩ましている。

現在の常時接続環境(DION)のエリア検索で新しい住所を入れたら、ADSLはエリア外であった。さらに光ファイバーについても調べたが、マンションでは3階以下のみでの提供とのこと。マンション内でLANを作りそれに繋げるようなものもあるらしいが、それだとグローバルIPがとれないような気がして、自宅サーバが心配だ。

とりあえず、DIONに問い合わせ、場合によってはプロバイダーを変えることも視野に入れて行かなくてはいけない。そうしたら、夢の固定IP&DNSサーバの構築にも手を出すかもしれない。実は楽しみが広がってきているのではないか??(笑)。

Tony Grey

天才というよりも、職人という感じの音楽家だと思う。

Jacoの様にファンキーな人生を歩むのとは対照的に、死ぬまで真摯に音楽に携わっていく人だと思う。はじめに出てきたのはそんな地味な感想だったが、何回もきくにつれて、そして自分で彼のやっていることに少しトライしたとき、あまりにも高い音楽性、芸術性にうちひしがれてしまった。

エレキベースで印象に残るフレーズはとかくフレットレス、スラッピングで奏でられることが多いが、彼のようにノーマルな指弾きで(また音色がシンプルでダークで、時には抑制のきいたクラシックギターのようで)リリカルなフレーズを弾かれてしまうと、崇高な精神性のようなものを感じてしまう。アルバムに収録された曲順にもう20回以上聴いている。

このアルバムを聴き込んでのもう一つの収穫は2曲目のDil Chahata Haiでギターを弾いているPrasannnaというギタリストに出会えたこと。ギタリストならば今までにない音色・奏法の新鮮さに驚くのではないだろうか??

とにかく、彼をベーシストとして採用している上原ひろみ、そしてTony Greyの周囲にいる強烈な独自性を持つ音楽家のコミュニティー(特にDavid Fiuczynskiなど)に脱帽です。

Moving


Tony Grey

マラソン大会

今日は理研マラソン大会に参加。

僕は5.3 kmに参加したのだが、自分の時計の計測で25分25秒だった。今日のレースでは心拍を190で保って苦しくなったら185まで落として休息、最後の300mは出来るだけ全力でラストスパートするというテーマで望んだ。最後のラストスパートで結構苦しい思いをするかしないかで、充実感(自己満足)そしてその後のビールのおいしさが変わります。

今日は世界陸上2005での競歩の日本代表の明石顕さんの歩き(我々が走るより全然早いのだが・・・)を見ることが出来て、その速さに感動しました。

http://www.alsok.co.jp/sports/rikujo/member.html

一番印象的だったのはレースが終わった後でも、黙々とコース以外のところでトレーニングしていたのを目撃したこと。挨拶するとにこやかに返事してくれました。第一線で活躍している人なのに、さわやかで柔らかい物腰で人に接している姿が印象的でした。

においによって記憶がよみがえる

先日のマンション探しの時、少し貴重な体験をした。

僕は不動産屋に紹介された部屋を見ていたのだが、ある部屋のにおいがきっかけで6,7歳の時の記憶が一瞬にして戻ってきたということだ。その時感じた匂いは、昔両親と一緒に車で訪ねた親戚の匂いと同じで、親戚の家に2泊したことまで覚えている。さらにすごいのは、泊まりに行って次の日に午前中はロボットの模型で遊び、午後は上がのドックに行ったことも思いだした。さらにその2週間後、その親戚の家に夜、車で布団を運んでその時の両親の会話まで思い出してしまった。

次のアパートを決めるという重要な時間だったのに、次から次へと記憶が読みが得てくるときは頭が完全にボーっとしていて、10分くらいあまり周りの人と会話が成り立っていなかったような記憶がある(笑)。

今回思ったのは実は人間は生きてきた中で、見たもの感じたものは全て記憶されていて、重要でないものは、呼び出すことの少ない領域にしまわれてしまう(例えると、当分使わないだろうハードディスク内のデータはCD, DVDに焼いて本棚にでもしまってしまう、といったところだろうか?)。しかしひょんな事でその領域とアクセスしてしまうことがある(これは本を取り出そうとして、CD-ROMも本棚から一緒に引き出してしまうような感覚か???)。

いずれにせよ、自分の脳ですら記憶容量の大きさにびっくりしてしまう体験だった。脳の研究が活発なのも分かるような気がする。

論文受理!

もう何回も経験しているが、自分の書いた論文が受理されるというのはいつでも非常にうれしい体験だ。e-mailが雑誌編集者から届いて、それを緊張しながら読む・・・。予算の申請の結果を見るときとreviwer のコメントを読むときが一番ドキドキする。

今回はNano Lettersという高い水準の雑誌に投稿したのであるが、今までで一番訂正を求められなかった。この無傷での勝利(笑)に今日はテンションを高くたっもったまま仕事をしたのでクタクタです。

残った論文は後2本!

新居決まる

ようやく新居が決まった。

妻が言うには良い物件との出会いは「縁と運とタイミング」だそうで、なかなかうまいことをいうなと思ってしまった。

土曜日、日曜日と2日間続けて2時間半かけて家から新住所に通ったのであるが、早く決まって良かったと思う。というか実は僕は家を決めるのに時間を掛けるのが大嫌いだ(笑)。見学させてもらって、不動産屋に帰ったらもう別の人に決まっていたりと、なにか妙なプレッシャーをいつも感じてしまう。

今回は見せてもらって、すぐに妻に「ここにしようー。」とずっと言い続けて決めてしまった。実際お互いとても気に入った物件だったので良かった。

とにかく今回見て分かったのはマンションとアパートの保温能力の違いだ。マンションは冬でもとても暖かい!少し家賃が高くても鉄筋のマンションに住むことは寒がりの僕にとって非常に重要なことだ。

次に住む町はここです。

http://www.shin-matsudo.com/

アジア国際共同研究 (日本側の問題点について)

アジア諸国の研究の連携を推進するというシンポジウムに参加。

研究者の留学(修行の場)としてアジアからは米国及びヨーロッパへ留学するパターンが多いが、アジアの中(中国、韓国、オーストラリア、シンガポール、インドネシアなど)で人材を流通させることによって、国際的交流と人材の流動とそれによる研究レベルの向上を目指す事が目的となっている。

非常にわかりやすいロジックで一般的にも受け入れられそうなプランだが、一部の研究グループにだけ研究費が集中して、一部の人間だけが組織間を少し異動して、それで終わってしまうような印象があった。

ボス同士での議論も進んでいるのかもしれないが、研究結果を見せ合うだけで、国際研究の交流をどのようにして進めるか、という話し合い、アイデアの紹介が全くなかった。「いつでも、うちに来て良いよ。」という責任感が感じられないリップサービスは何回かきいたのだが。

また、何人かの研究者が冒頭に「理科離れが進んでいるから・・・」というイントロは全くこのプロジェクトを推進するための理由にはならない。なぜなら、それは単純に博士課程学生、ポスドクなどの若手研究者の交換がメインになると思われるから。

さらに博士課程学生は経済的な心配もしつつプロジェクトにつきあって行かなくてはならない。博士課程の学生に経済的支援がほとんど無いのは日本だけで、「学位を買う」という状態になっているのが、日本の研究レベルの低下がすすむ原因だから。まず、博士号授与の敷居を高くする+博士課程の学生に経済的支援をする、として博士号取得者のレベルを上げることが、中身のない国際交流を進めるよりも大事であると感じてしまった。

どこが一番快適か?

今日は朝から雨ですね。久しぶりにズボンが結構通勤途中に濡れました。

さて、今日はある研究者がうちの研究室に測定に来て、測定の合間にいろいろと話していたのですが、「今まで住んできた土地の中でどこが一番快適だったか?」という話題で盛り上がりました。

僕は等々力(世田谷)ー早稲田ーつくばーハイデルベルグー町田とnomad人生を送ってきているが、どこが一番快適だったか?という問いに答えるのは、よく考えたらちょっと難しい。

それぞれの期間で自分の立場、稼ぎ、家族構成、友人も違うし、自分の目標も違うから何ともいえないですね。その友人と話していたときは「やっぱり個人が独立しているドイツかなあ?」なんて答えていたが、実際現在は日本の生活にどっぷり浸かっているわけで、自分でもよく分からないですね。

ただ自信を持っていえることは、それぞれの場所で良い思い出がたくさんあるということ。それぞれ書いていくと膨大な量になってしまいそうだが、実はとても面白い作業のような気がする。その作業をしてからもう一回「どこが一番良かったか?」という質問を受けてみたいと思った。

P.S. ドイツの写真を整理していると鮮明に記憶がよみがえってくるので、是非休日を使って旅行記みたいにしてみたいと思うこの頃です。