ゆとり教育とゆとり世代の大学院生

2010 研究室忘年会

メディアで良く取り上げられる話題の一つである、「ゆとり教育」あるいは「ゆとり世代の問題」。

私はゆとり世代の大学院生を見て、「ゆとり教育」のせいで全体的に一様に能力が低くなったとは思えない。むしろ2極化が激しくなったという印象をもっている。上位レベルの学生は研究を通じて”成果を上げるための能力”を自分で磨き成長するのに対して、下位レベルの学生は普段の生活すらままならない。 大学には述べ6年在籍しているが、この3年間で2極化が一気に進んだと感じる。

入学後も中学、高校とは異なり、研究を通じたトレーニングが中心となる大学院では、学生間のレベルの差が急速に開いていく。至極当然なのであるが、普段の生活態度、研究成果の質と量、就職活動の結果は明確な相関がある。しかしながら、その相関、自分がどのレベルにいるかを知らないor知ろうともしない学生が増えた。この「わかってなさ」、「気付いて無さ」は教員から見てもかわいそうになるレベルであり、教員としても気付きのチャンスをコンスタントに与えるしか今のところ方法はない。ただでさえ勝負が早く決まってしまう傾向にある最近の日本で、修士1年で「もう勝負あり」の状態になってしまっている学生が増えてきた感が強い。

特に大学院入学の定員は変わらずに、少子化が進み、結局低いレベルの学生まで、大学院に入れてしまうのは、完全に大学院のシステムの問題である。私は大学のため、学生のため、自分のグループのためにも卒業の基準を(自分のグループに関してだけ)でも下げないようにしてゆきたいと思っている。

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