いろいろと仕事が進んだ一週間

研究所へ行くこともなく、今週は大学にいたため仕事がはかどった。
博士課程の学生が論文を書いていて、2,3直さなくてはいけない部分もあるが、とても良い論文に仕上がりそう。ボスとのディスカッションも行って、色々な意見を元にreviseする予定。
その他、学生の研究は順調に進んでいる。1人データ解析に戸惑っている学生はここが正念場でしょう。僕はもう自分では解析の結果が予想できているが、彼がどの様に自分の力で料理するか楽しみです。
今週の東良美季さんの日記でとても良い文章がありました。ここで引用させていただきます。
http://jogjob.exblog.jp/7147513/

声が明らかに切羽詰まっていた。突然上司から衣装関係で必要なものを朝までに探せと言われ、都内のドン・キホーテなどの夜中まで開いている店を駆けずり回っているという。明日は早朝成田集合。それまでに何とかしなければならない。「頑張ってますけど、もう泣きそうです」と言う。「僕に何が出来る?」と訊くと、「頑張れ、って言って貰えませんか」と言った。電話を切ってから、彼女は今夜、朝までに最低一度は泣くだろうと思った。だけど泣かなければ、決して一人前にはなれない。頑張って、100%頑張って、いや120%も200%も頑張って、でも出来なくて、口惜しくて情けなくて自分が不甲斐なくて、泣く。けれど、そうやって絶望の果てに押し殺しすように声を絞って泣いたことのあるヤツだけが一人前になれる。
 
 昔、代々木にあった小さな編集プロダクションにいた時、よく泣いた。原稿取りの帰りの夜の道で、誰もいない真夜中の編集部のトイレで、絞り出すように泣いた。24才の時だ。不条理なことを押しつけて来る上司に、お前だけは絶対に許さないからな、と心の中で言った。そして翌朝は何事も無かったように笑顔で挨拶した。今、仕事で30代くらいの編集者などに会うと、この人はそういう経験をしたことがないなとすぐに判る。泣いた夜の無い人は諦めと愚痴と言い訳しか言わない。「ウチの会社では無理なんです」「僕の上司には通りません」と。自分を変えたくて、でも出来なくて、無力で、その無力さに泣きながら一歩を踏み出したことが一度も無いので、自分を含めて何かが変わるというヴィジョンを持つことが出来ないのだ。
 
 そういう人はこの先もう、ずっと横を向いてせせら笑って生きるしかない。趣味に生きるとか言って土日だけを待ち、自分は仕事が出来ないという現実を誤魔化し続けるしかない。頑張って何かを変えようとしている他人を、「青臭い」と揶揄して生きるしかない。そういう人生は──最低だ。午前3時過ぎ、そろそろ寝ようかと思って立ち上がった時に携帯にメールが届いた。「見つかりました! 頑張れコール、効きましたよ」とあった。

これを読んで学生の時、研究での自分の力不足で、泣くほど悔しい思いをしていたのを思い出しました。現在はその時の努力が今生きていると痛感しています。しかしながら最近はまた力不足を感じることが多くなりました。でも、昔よりも冷静に努力できるようになった気がします。
昨日は妻が取りあえず転職希望の1つの企業から内定をもらい、私もある研究会からポスター発表賞を頂きました。小さい賞ですが、同じ分野の専門家に自分の研究成果を評価してもらえるというのはとてもうれしいものです。夫婦揃って良い雰囲気で週末に入りました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください