5年前の今日


5年前の今日、米国で同時多発テロが起こったときのことは今でもかなり鮮明に覚えている。

ドイツに来て1年あまり、与太話くらいであればドイツ語でできるようになっていた自分は、ふと研究室でプログラミングの手を休め、CNNのホームページを見ていた。そして飛行機事故があったというニュースを耳にして、ドイツ語でしかコミュニケーションができない中国人に、この事故について話しかけていた。その後、2機目がWTCに突入し、大規模なテロだということがわかった時には、仕事をやめてすぐ家に帰り、CNNをつけっぱなしにして情報を集めた。

WTCが倒壊したのはテレビをつけてまもなくで、その映像を生で見ながら、とんでもないことが起こっている実感をもった。すぐに日本にいる妻に電話をしたが、仲間達で飲んでいたらしく、事の重大さが伝わっていない事が悔しかった。夕方CNNのスーパーは“America under attack”から“America under the war”に変わっていた。しかし、この事件の影響は僕の想像を遙かに超えていた。

ドイツ、ハイデルベルグはヨーロッパ在駐の米軍の総司令部がある町で、しかも僕の住んでいたEppelheim(エッペルハイム)は司令官の寄宿舎がある町だった。人口1万人くらいの町は一晩でヨーロッパーで一番警戒された町になってしまい、僕のお気に入りのアパートの裏の広大な農地にもマシンガンを持った兵士がパトロールをするようになってしまった。

僕は自分の想像を超えた状況の変化に完全にうろたえてしまっていたが、1週間くらいたってマシンガンを持った兵士がいるという状況にも慣れ、冷静さを取り戻すと、いろいろな事を考えるようになった。

この事件で学んだことは、自分の想像を超えることが起きたとき、やはり身近にいる人を一番に考え、一時的にも思いやりをもてるということ。普段の生活では学位だ、給料だ、地位だといった、人間が作ったシステムに惑わされてしまい、またそのシステムに過剰反応して、慢性的な不安を持って暮らしてしまう。しかし、この同時テロはそのような価値観を、バケツの水で洗い流すかのように、「何が重要か」ということ に一瞬で目を覚まさせてくれるような体験だった。

追記: しかし、ようやく落ち着いた頃、ハイデルベルグの旧市街で200 kgの爆薬を使ったテロ未遂があった時には、その後の生活に不安を感じました・・・。

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